お義母さんのこと③

義父母との関係が良くなるのに、10年以上かかった。

特に、義父とは最近ようやく話せるようになった。

 

すべて子供たちと義父母のおかげだ。

子供たちの素直さ純粋さが、私たちを結びつけてくれたのだと思う。

そして、自分勝手に出て行った私たちを見捨てず、いつも見守ってくれたお義父さんとお義母さんの無条件の愛。

どんなに感謝しても感謝しきれない。

 

とは言っても、たまに義母の地雷を踏むときがある。

20年以上の付き合いだが、機嫌が悪くなるポイントがわからない時があるのだ。

口調がきつくなるので、しまった!と後悔してももう遅い。

勢いが止まらない。

その度に、やっぱりこの人苦手だ。

と思ってしまう。

 

でも、紫微斗数を学んでからは少し違う。

私たちは、義母を理解しようとしていたか?尊重していたか?大切にしていたか?

寂しい思いはさせていなかったか?

家族だからこそ思いやりの気持で接していたか?

油断しているとついつい忘れてしまう。

 

親だって人間だ。完璧なはずがない。

親だってわがまま言いたいし、甘えたい時だってある。

理不尽なこと言って困らせる時だってある。

感情的になる時だってある。

 

いろんな気持ちを受け止めたいと思う。

寄り添っていきたいと思う。

若い時の過ちを二度と繰り返さないように

これから先、ゆっくり時間をかけてお義父さんとお義母さんに尽くしていこうと思う。

お義母さんのこと②

私が住んでいる所はとても田舎で、近所の噂がすぐに広まる。

 

私達3人が家を出たことは、義父母にとって恥以外何もない。

家を出る方は良いが、残された方は

近所の目から逃れることが出来ず、耐えられなかったと思う。

 

家を出た事で、私は精神的に落ち着いた。

 

義父母からは一生許されないだろうと覚悟した。

一緒に家を出てくれた夫に感謝した。

夫は義父と一緒に働いていたので、しばらくして仕事も辞めた。

 

仕事もお金もすべてなくなったけど、

3人でいれば幸せだった。

 

家を出てすぐ、2人目を妊娠してることがわかった。

子宮の状態があまり良くなく、寝たきり生活になり、

夫は早朝コンビニで働き、お昼から息子の面倒を見てくれた。

娘が生まれるまで、この生活が続いた。

 

 

距離と時間をあけたら、義母に対して嫌だと思う気持ちが薄れてきた。

 

義母は、言葉はキツイが気持ちの良いくらいサッパリした人だ。

裏表のない、愛情深い人だ。

 

私は、甘えることが苦手でなんでも自分で解決してしまうクセがある。

 

義母は、頼ってほしかったのだと思う。甘えてほしかったのだと思う。

母のいない私を家族として迎えてくれていたのに、私は甘え方がわからなかった。

しっかりした自分でありたいとしっかりした自分でいなければと

自分自身をコントロールしていた。

 

可愛くない嫁だったと思う。

気難しい嫁だったと思う。

思いやりのない嫁だったと思う。

 

20年経った今ならわかる。

 

③に続きます。

お義母さんのこと①

75歳の誕生日だった。

ケーキと花束を用意し、

大好きと伝えた。

 

私の母は、私が20歳前に亡くなったので、

年数だけ言えば、義母と一緒にいる方が長い。

今だからお義母さんのことを

良い所も悪い所も受け入れ、しょうがないよねと笑うことができるが、

紫微斗数を学ぶ前の私は、こんな風に言えなかった。

 

1人目の息子が生まれる少し前から同居生活が始まった。

私は、16歳くらいから家の事は全てやらないといけない環境だったので、

自分のやり方があった。しかし、同居生活ではそれが通らないことを知った。

いろんな事に口出ししてくる義母、親切とお節介を勘違いしている気がして、

顔では笑顔を作っていたが、心の中はウンザリしていた。

 

妊娠中、お腹の中でなかなか育たない息子に対し、

「障害を持っていたらどうするんだ?」

「あなたの父親は、タバコを吸っていたよね?副流煙が原因ではないか。」

など不安な心にさらに追い討ちをかけてきた。

 

体重1600gで生まれ、息子はそのまま1か月ほど入院し、

私は予定通り1週間で退院した。

帰宅する車の中で、

「お義父さんに謝ってちょうだい。」

と言われた。

意味がわからなかった。

低体重児を産んだ私はダメですか?

 

順調に育ち体重2500gを超え、退院できたが、初めての子育ては何もわからず、泣き止まない息子にあたふたしていた。

「貸しなさい。私の方が上手だから。」

泣いている息子に、

「かわいそうにねえ。もう大丈夫よ。」

と私の腕から息子を奪っていく。

私の知らない間に外に連れて行ってしまう。

私から母親だという自信も奪っていく。

 

今思うと、あの頃の私は産後のウツにかかっていたんだと思う。

自分から息子が見えなくなると、不安で涙がでた。

私と夫以外の人が息子を抱くことが許せなかった。

夫に話しても理解してもらえなかった。

大好きな人の母親に対して、嫌だと思う自分が1番許せなかった。

 

そして、1年くらいで逃げるように夫と私と息子3人で家を出た。

 

②に続きます。

自分自身を愛する

50年近く生きてきて

ようやく自分自身を愛することができるようになった。

 

難しかったあ。

 

どんな自分でも好きって難しくないですか?

どんな自分でも許せるってすごくないですか?

 

私は、自分の長所を見つけるのが下手で、

他人から褒められても

素直に喜ぶことが出来なかった。

いつもわたしなんか、、、。

と思っていた。

 

 

先日、友人が私に惚気た。

「彼がわたしのことを

ただいるだけでぼくは幸せだよ。」

って。

 

人生でそんなこと言われた事ない!

うらやましいしかない!

眩しすぎる!

どうしたら、そんな言葉言ってもらえるんだ!!

いいなあ!

心の声がすべて、店内に響き渡るほどでてしまった。

 

言われない自分。

可愛くないからか?

綺麗じゃないからか?

頭が良くないからか?

優しくないからか?

太っているからか?

若くないからか?

あらゆる原因をさがしてみる。

 

出した答えは、

言われないなら、自分で言おう!

私が私に。

私が大切な家族に。

私が大切な友人達に。

 

「あなたがいるだけで私は幸せだよ。」

 

 

 

 

 

 

愛を伝える

おはよう

元気?

ありがとう

気をつけてね

いってらっしゃい

大丈夫?

頑張って

おかえりなさい

可愛いね

大好きだよ

おやすみ

 

何気なく言っている言葉

言える幸せをかみしめる

 

毎日、惜しみなく愛を伝えようと思う。

大丈夫だよ!

久しぶりに会った友人が、

「幸せだったあの頃に戻りたい。」

と言った。

 

わかるわかる!

わかるよ!

私も戻れるなら戻りたい「あの頃」がたくさんある。

 

若い頃は、すべてが手に入ると思っていた。

何もこわくなかった。

幸せになることに何の疑いもなかった。

 

仕事

結婚

子供

全てが簡単に手に入り、幸せになるためのツールだと考えていた。

 

友人の結婚生活が楽しそうに見えて、自分も結婚すれば同じように幸せになれると思い、友人が妊娠すれば、自分も簡単に妊娠できると思っていた。

でも、結婚生活は楽しいだけではない現実を知り、

子供を授かることは奇跡で、運よく授かったとしても可愛いだけの生き物ではないことも知った。

 

自分の満たされない気持ち、孤独感がなくなるはずと思って結婚したのに、

何かが違った。

子供を産んだら?!

幸せになれるはず、、、

 

自分だけの為に使っていた時間が夫と子供中心になり、こんなはずじゃなかったと

描いていた人生設計とはかけ離れていた。

 

でも、すべて自分が選んだ人生。

 

結婚

この人となら結婚したい

子供

この人との子供がほしい

と願い、夢をあきらめてでも手に入れたいと願ったはず。

 

あなたもきっとそうだったはず。

今は幸せだと思えなくても

あなたの人生に決して無駄はない。

あなたのこれからの強い想いと行動で

あなたの望んだ世界へ変えることができる。

大丈夫だよ!

 

あなたが気づいていないだけ。

あなたも私も充分、満たされているはずだから。